21-拾玖「その針先」

詳しいわけではないが、釣りの楽しさは少しだけ知っている。

 

子どもの頃は池や海が身近にあり、父が釣り好きだったこともあって、キッズのお遊び程度の釣りなら何度か経験があった。

 

小学校の時に書いた日記が2冊だけ残っているが、そこには「池では1匹しか釣れなかった」という記録が残っていた。

 

結果はアレだが、小学生の私は楽しみでしょうがなかったらしく、朝早くから起きて、まだ寝ている家族を起こしに行ったらしい。

 

池での釣りは、主にフナを釣っていた。

餌は小麦粉を練ったものを使っていたが、釣ることより、小麦粉をネチネチと練って丸める餌作りが面白かったのを覚えている。

 

一方、海釣りは磯臭いし潮風でベタベタになるし、日焼けしまくるし、で、いつも気乗りのしない始まりだった。

 

ところが不思議なもので、釣り始めると面白くて時間を忘れるのである。

 

ミミズは怖いのに、見た目が似ている生き餌のゴカイには抵抗なく触れるというのもまた釣りマジック(笑)

 

そして父は居合わせた釣り人たちとも、気さくに話していたので、そのおこぼれで見知らぬ大人に話しかけてもらえるのも楽しかった。

 

ただ、釣るのは楽しかったが、釣り上げた魚はなかなか触れず、いつも父に助けてもらっていた。

 

当然だが、釣った魚は釣り針を飲み込んでいる。

軽く引っかかってるものなら外せるが、喉の奥に刺さってるのを取るのは怖かった。

 

魚がかわいそうで辛い、とか

魚が暴れるから怖い、のもあったが

強く引っ張ると魚がちぎれるんじゃないかという恐怖と

抜いた釣り針が自分の手に刺さるんじゃないか、という2つの恐怖が強かった。

 

そして父が来ない間にオタオタしてたら

魚が暴れて自力で釣り針を引き剥がし

海に飛び込んで逃げてしまった、なんてことも多々あった。

 

日々においても

釣り針を垂らしておけば

何かしらはキャッチ出来てるんだろうけど

獲得物をしっかり握って

釣り針を外す勇気とテクニック……大事だよねえ

 

 

自分やきょうだいたちの年齢が上がるとともに、家族で釣りに行く機会も無くなったが、もう父亡き今、「ちょっとは釣り針外すのうまくなってればなあ」とか思ったりもする。

 

現在住んでいる地域は、海が近くにない。

そして息子に言われる。

「未だに釣りの経験がないのは不満だ」と。

 

父が体験させてくれた「釣り」という楽しみを

自分は今の家族に味合わせてあげれてないんだよなあ。

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「皇帝」

二度目のおでまし!!

やっぱ縁があるんだろうなあ。

 

実は使用するタロットをトートにしたのは、このカードを現す「釣り針」というワードにあったりする。

 

トート以外の皇帝では「窓」なんだけど、その違いを知った時、ああもうこれはトート使おうって瞬時に思った。

 

学問的なことではなく「皇帝は釣り針の方がいい」と思ったのは、やはり子ども時代のこうした釣りの思い出が底にあるからかもしれない。

 

釣り針は、求めるものを得る喜びもあれば、その針先で対象を傷つけたり自分が傷つく危険もある。

 

あの時、暴れていた魚をうまく掴めなかった私は、余計にその魚に酷な思いをさせてしまったのかもしれない。

 

釣る技術も要るけど、外す技術も必要だなって思う。

そして自分が釣り上げられる側になった時、自力で逃げた魚のように力を振り絞って針を外せるだろうか、と色々考えさせられる。

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「釣りの様子」画:小1の自分