21-拾弐「溢れる器」

人を思いやる、ってなんだろう?

自分なりに辿り着く答えは

「自分がされて嫌なことは他人にしない」

になるのかな?、なんて考えていた。

 

自分の中ではそれが当たり前で、普段から心掛けているつもりではいる。

 

「あんな苦しい思いは誰にもさせてはダメだ」と。

 

しかし時として、意図せず、あるいは抗えない事情の流れで、結果的に相手を苦しめてしまってる場合に気づいたときは、それはもう激しい自己嫌悪が起きる。

 

自分の場合はそうだが

今まで関わってきた人々の中には

そうではない考え方の人もいる。

 

自分が味わった辛さは、相手も味わって当然だ、という考え方だ。

 

そういう人は必ず

「私のときはこんなもんじゃなかったんだから」

というような言葉をぶつけてくるのだ。

 

なんだろう?

人が苦しんでるのを見て、自分の過去の苦しみが昇華されるとでもいうつもりなのだろうか?

 

どうにも理解が及ばない考え方ではあるが

そういう考えの持ち主に複数関わった事実がある以上、これも人間の思考パターンのひとつなのかもしれない。

 

だがそうだとしても、その中に思いやりを見つけることは私はできない。

 

そんなことを考えているとき

ふと、ある曲が頭に蘇った。

 

歌手のイルカさんが唄う「しあわせ」という曲だ。

 

学生時代、すごく落ち込んでるときに

深夜のラジオから流れてきて出会った曲で

もっと聴きたくてレンタル店に走ったなあ。

 

悲しくて悲しくて泣くのはつらいけど

そんな時は幸せなのかもしれない

これから幸せの波がうちよせる

それを待てばよいのだから

はてなブログは歌詞の引用okらしくてホッとした

 

冒頭に書いた思いやりについて考えてたときに

自分に湧き上がるいろんな感情って

どこからくるんだろうなあ……って思ったのだけれど

「果てしなく広い思いの海から

 自分の足元に打ち寄せるの波が感情」

というイメージがこの曲の歌詞にちょっとリンクするような気がした。

 

落ち込む当時の私を掬い上げてくれたその曲はこう続く。

 

もし毎日が楽しいだけの日々ならば

友達なんてできないかもしれない

何もわからないからぼくは生きる

たくさん苦しみを受け止めて

君が困っているときは

助けてあげられるようになるかもしれない

 

そうだ、その当時も思ったのだ。

同じことで落ち込んでる人がいたら

私ひとりだけでもきっとわかってあげられる、

そういう人になりたい、と。

 

どこから続くのかわからないくらい広い「思いの大海」から、足元に打ち寄せる感情の波。

 

それを自分の持ってる器に汲んで

なみなみと溢れんばかりの感情を

目の前の人に差し出して手渡す

 

その中身が優しさや慈しみの波であるなら

きっとそれが、相手を思いやる、ってことなのかなあって思った。

 

くれぐれも、どす黒いものを汲んで

相手に渡さないよう心掛けなければ(笑)

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「杯のエース」

これは悩んだ!!!

寝る前の夜中に引いて、朝起きても仕事してても

何を書いていいか言葉にならなくて、

ずーーっと問い続けた「感情の根源って何?」と。

 

何に風が吹いたら「愛」になるのか。

何にどんな魔術をかけたら「しかめ面の道化師」になるのか。

無意識の領域を自分のどういうエピソードに当てはめていいのか言葉にできなかった。

 

そして夜になってしまったタイミングで

ふっと思い出した「しあわせ」の曲。

もうこれは自分に用意された杯エースの答えだと信じて今日の内容となった。