21-拾参「消えないのか消さないのか」

もう、自分との関わりはない。

その事実を認めて自覚していながらも

心には今もなお居続けて

自分に影響を与え続ける。

わずかながらもそういう人たちがいる。

 

いつまで経っても消えない面影なのか

あるいは、私が絶対消そうとしない面影なのか

 

【繋がったその一瞬】

中学生のとき、同じクラスにBさんという女の子がいた。

 

客観的に見ると、彼女とは特別仲が良かったわけでもなく

たまたま席が一時期近くで、その期間は会話する機会が多かった、程度の関係だった。

 

だけど、ある日の放課後だったか。

トイレで、偶然居合わせ、そこで立ち話をしたことがあった。

 

確か「サンタはいるかいないか」とか呑気な話をしてたら、唐突に話題を打ち切って彼女が悩みらしきことを私に言ってきたのだった。

 

その悩みの内容も、自分がどう答えたかも覚えてない。

だがその話の直後、彼女は両手で私の手を握りしめ「誰にも言わないで」と言ったのだ。

 

その力強さと、僅かに震えていた手の感触を、何年も経った今でも不意に思い出すことがある。

 

彼女とは席が離れたらそれきりで、その後も全く関わりがないにも関わらず、私の中では「彼女と繋がった一瞬」をいつまでも忘れられないのである。

 

【重なる後ろ姿】

パート先で出会ったCさんは、

とても周りの人に親しまれ

優遇されているように見えていた。

 

特に私は、不遇な扱いを受ける場面が多かったので、

優遇されてそうなCさんを疎ましく思う気持ちも内心抱いていた。

 

だけど、知るうちにCさんは周りに合わせてひどく気を遣って我慢してるだけで、優遇などされていないことに気がつく。

 

そこからは互いに、職場の片隅で胸の内を打ち明け合い、互いに励まし合うようになった。

 

だが、彼女の精神的な負担は私が知る以上に深く、ある日突然、職場に来なくなってしまった。

そしてそのまま仕事を辞めてしまったのだった。

 

職場に行けば会える人だと思っていたので、個人間の連絡先を交換しておかなかったのを心から悔やんだ。もう少し話を聞いてあげていたら……と。

 

その後一度だけ手続きに現れた彼女に

「いつでも戻ってきて!大歓迎だから!」

と言うのが精一杯だった。

 

もう去るのが確定してる人に「戻ってきて」とか無意味でしかない言葉だが「私だけは受け入れる」という気持ちが強くてそういう言葉になってしまった。

 

それからしばらく私は「Cさんロス」になった。

行けば居る、と思ってしまい、居ない現実を確認してはため息をつく。

 

そんなある時、通勤途中、後ろから追い抜いてきた自転車に乗っていた女性の後ろ姿がCさんによく似ていた。

 

いや、ここに居るわけではない、と分かってはいるのに、その女性にCさんの面影を重ねてしまう。

 

またあるとき、家の近くのマンションから、その自転車が走り出すのを見かけた。住む場所からしてCさんとは完全に別人だ。

 

でも正直なところ、そんなことはどうでもよくて、自転車の女性がCさんを思い出させてくれたらそれでいい、と考えてしまう。

 

その後から現在もなお、

その自転車の女性に遭遇するが

なんならその女性はずっと後ろ姿だけでいい。

Cさんとは別人である真相なんて要らない。

 

Cさん頑張ってるなあ、私も頑張るよ、と

その後ろ姿に思うことが、

私にとっての真実になってしまっているからだ。

 

【今でも普通にお帰り】

昨年秋に、父が逝去した。

遺体にも触れたし、葬儀も火葬も納骨も立ち合って「もう居ない事実」はこれでもかというくらい味わった。

 

にも関わらず「今でも実家に帰ったら普通に居る」みたいな気持ちがずっとある。

 

あまり悲壮感はなく、なんならちょっと「今でも普通にお帰りっていうだろう」という想像に励まされるような気持ちになることさえあるのだ。

 

ーーーーーーーーーー

父はともかくBさん、Cさんにおいては

僅かなふれあいに過ぎず

きっと向こうも私のことなど覚えてない。

 

それどころかCさんに至っては、嫌で辞めた職場なのだから忘れたい思い出だろう。

 

だけど何というか……

本人たちも居ないし

もう関わりもないから声も届かないけど

 

あなたのこと、私は覚えてるよ

あなたの存在を忘れてない他人が

ここにひとりはいる

それってすごいことだよ

あなたは他人の心に残れる素晴らしい人なんだ

 

っていうのが伝わったらなあ、とか思ってしまうのだ。

 

消えないのか消さないのか

忘れられないのか忘れないのか

 

どうやら私の場合は

消さずに忘れない、んだろうなあ、きっと。

f:id:punicon:20220201103420j:image

「死」

数年前なら震え上がってたカード(笑)

でも蠍座のカードってことを考えると……

私が誰かとの些細なふれあいすらもずっと忘れたくないのは

私もまた誰かの記憶に残りたい願望の裏返しなのかもしれないなあ。

 

昔好きで見ていたドラマに「私は旅立つ人を見送る役目でいたい」みたいなセリフがあったことを思い出した。あれも刺さる言葉だった。

 

自分が忘れられるのに相手を忘れないなんて不毛だろうか。いやぁ、でもその思い出がいろいろ支えになるならそれは自分の財産だよね、とか思う。

 

で、その割には、大事な用事や予約をすぐ忘れたりするのはどうにかしないといけない(苦笑)