21-弐拾壱「彩る縞と輪」

夢物語だとおもっていたものが

目の前に現実として現れた時

それはいつまで経っても忘れない記憶と経験として残っていく。


それをどれくらい味わえるか、で

人生の楽しさや深みを感じる度合いが

変わってくるのかもしれない。

 

 

 

子ども時代、何かのきっかけで妹が家庭用の望遠鏡を買った。

 


小さくて安価な造りのものではあったが

それでも「月」をみた時の衝撃は絶大だった。


「クレーターが本当にある!!」


図鑑やテレビでしか見たことのない月の表面が

くっきりとレンズの中に映し出されていた。

 


あれは現実のものだったんだ……

それを今、この目で見ているんだ、と

激しく心を揺さぶられる私以上に、星にハマった家族が居た。

 


それは父だった。

 


父は夜空に夢中になり、家庭用の望遠鏡では飽き足らず、大がかりな組み立て式のデカイ望遠鏡を買ってきた。


本体、レンズ、三脚、星の軌道を追う装置、とパーツごとに大きな箱で運ばないといけないような代物だった。


とてもド素人が扱うものではなさそうな望遠鏡だが、それでも毎晩のように説明書や関連本を読み漁り、荷を運び出し組み立ててはレンズを覗く父を誰も止められはしない。

 


そしてついに「見えるようになった」と言われて、外に呼び出された。

 

 

空を向いたレンズは大砲のようにデカイのに

実際に目で覗くのは、その横からピョコっと出てる小さなレンズからだ、と指示される。


こんなんで本当に星が?と半信半疑で目を当てる。

 


「うあーーー!!!」


私は思わず、大声を出してしまった。

 


そのレンズに写っていたものは木星だったのだ。

 

 

 

「本当にだ!」

 

 

 

月を初めて見た時も衝撃だったが

まだ月は普段でも馴染みのあるような身近さがあった。

 

 

しかし、木星などという

点の光でしか見えないような遠い星は

「あるのは知ってるが普段は意識しない」ような別世界の星だった。

 

 

それがいま目の前にある。

木星シマシマなのは本当だったのだ。

 


少しぼやけてはいるが

そのコントラストの美しさに

目も心も魅了されたのだった。

 


なんということだ……なんという素晴らしいものが空にはあるんだ、と私は打ちのめされた。

 

 

 

そうなると、今度は

土星の輪っかは本当にあるのか?」

と知りたくなる。

 


「お父さん、土星の輪っかが見たい」

と言ったら父は嬉しそうだった。

 

 

 

時間の経過がどうだったかまでは覚えてないが、その後、土星を見るまでにはしばらく間が空いたように思う。

 

 

 

そしてその頃には家の庭先ではなく、近くの広場まで出向いて、父何組み立てるところから見たのを覚えている。

 

 

そっとレンズを覗くと

薄くぼやけた球体がかげろうのように揺れていた。

 

そしてその球体には、確かに輪がかかっていたのだ。

土星に輪があるのは本当なんだと腑に落ちた瞬間だった。

 

 

 

「これが土星……すごいぼやけてるね?」

「それだけ遠い星ってことよ」

 


そんな会話をした。

 


それからもしばらくの間、父の星ブームは続き

近所では飽き足らず、車で山へ出掛けて行くようになった。

 

教科書に載ってるような、星が輪を描いてぐるぐる回っている写真を撮っては満足そうにしていた。


2回ほど、その山の上に連れて行ってもらったことがある。

 


降るような星空、というのが大袈裟には聞こえない、見事な満天の星空が頭上にあった。

 


綺麗な星空、は見る機会が多かったが

その山頂で見る星空は別格だった。

 


空気が澄みきってるとこんなに星は間近に迫ってくるんだ、って思ったことを覚えている。

 

 

 

その当時、星座や星占いには興味がなかったが

今になって星のあれこれを調べて楽しむ日々を送っていることを考えると

星との縁は父が繋いでくれたものなんだな、とも思う。

 


父が見せてくれた木星の縞と土星の輪っかは

本やテレビの別世界にあるものではなく

現実に存在するものだった。

 


ぼんやりとした想像の世界から

望遠鏡のレンズを通して

目の前の事実として持ってきてくれたものだった。

 

 

 

その父も亡くなり、あの望遠鏡ももう経年による損傷が激しく、廃棄処分するしかなかった。

 


どちらも居なくなったが、今頃は何の気兼ねもなく、父は星と還り、レンズに頼ることなく、直接、星々と戯れ、宇宙の真っ只中で楽しんでいるんだろう、と思っていたい。

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「棒の10」

射手座に土星が入ったカード。

木星土星の組み合わせといえば、真っ先に思い出すのがこの望遠鏡の思い出だ。

 

やりたいことに突き進み、結果を出す、というところも、好きなことに無我夢中になってる父を思い出す。


父は多方面のジャンルで楽しみを持ち、なんでもこなすタイプの器用な人だった。星もそのひとつだった。


そんな父のホロスコープは太陽とドラゴンヘッドが双子座にあり、月は夜中の生まれなら蠍座、明け方以降なら射手座にある。


好奇心旺盛でドハマりしたら飛び出して行ってしまうところは「なるほど……」って思ってしまう。

ーーー


さて、この「三週間チャレンジ」も本日が21日目であり最終日。

 


タロットで占うことに興味はあれど

いつも話が上手く繋げられない悩みがあった。


調べれば意味は分かれど、それがどんな事例に当たるのか、その応用が全くできていない。


なのでこの三週間は「出たカードは自分の事例なら何に当てはまるのか?」ということを考えてみた。

 


それをブログという言語化する場所で形にする練習に取り組んでみた。

 

「三週間」という期間は「持続の最低ライン」だそうだ。三週間以内で挫折したものは持続したとは言えないらしい。

 


それを知って「それなら三週間だけでもこれに取り組んで、持続を達成しよう」と思ってこの期間を設定した。

 

やってみると、意外にも心の引き出しを開けるようなことが続き、自分の過去にいろいろ気付かされた。


タロットは一枚一枚にいろんな意味が含まれているので、果たしてブログに書いたことがちゃんと該当していたのかはわからない。


ひょっとすると的外れな回もあったかもしれないが、チャレンジしてみて楽しかった。もちろん悩んだことも含めて(笑)


だが!とりあえずは達成できた。

これが自分の自信のひとつにできますように。


明日からは…

なんか思いついたら

また三週間単位でやってみよう。