21-拾陸「往復切符の約束」

いろいろ脱線したり

はみ出したり飛び出したり

失敗してイチからやり直したり。

大小なりともそんな冒険ができるのも

ホッとできる場所があるからこそなんだろうな。

 

 

こんな歌がある。

 

家族旅行から帰って来ると

お母さんは 必ず言うのさ

「やっぱり家がいちばんね」

ホナ初めから旅行に行くな!

 

嘉門達夫「家族旅行」より〜

 

しっとりとしたメロディなのに

最後が「しっとりのまま激しいツッコミ」になってて

その「ギャップ」と「わかるわかる!」で

聴いた当時は笑い転げたものだ。

 

でも今日の書くテーマについて考えてる時にこの歌がふっと甦ったのは

「旅行に行って楽しめるのは、帰ってホッとできる場所があるから」

っていう「考え方が自分にある」ってことなんだろう。

 

旅行は楽しい。非日常は最高だ。

だから終わってしまうのは名残惜しい。

いつまでもこの夢のような楽しさが続けばいいのに。と思うのはよくある。

 

だけど、行きっぱなしの片道切符だけだったら、当てもなく補償もされない毎日に、そのうち不安だらけになる気がする。

 

非日常を楽しめるのは、何気ない自分の日常にまた戻れることが「往復切符」で約束されてるからなんじゃないか?と思ったりした。

 

 

「どっか行きたい」

って常々考えてる自分。

でも「どっかってどこ?」って自分に問うと

「よくわかんないけどここじゃないどっか」

ってハッキリと限定できないことがほとんどだ。

 

私はそれが単なる現実逃避なのか

それとも本気の未知への好奇心なのか

試したくて、実験的に行動に出たことがあった。

 

 

よく見かける電車のひとつに

大きな河を越えていく路線がある。

それを見るたびに

「あの河の向こうはどんな世界なのか」

とよく考えていた。

 

なのである日、ふとまたいつもの

どっか行きたい癖が頭に浮かんだタイミングで

「よっしゃあの電車で河の向こうに行くぞ」と

「どっか」を「河の向こうの世界」に特定して

本当にその電車に乗って終点まで行ってみたのだった。

 

「どっか」に自分を連れて行き

自分はその「どっか」で気が済むのか?と知りたかったのだ。

 

終点は、県境を越えた小さな駅だった。

周りは主に民家と田んぼだった。

 

降り立ってしばらく歩いたが

「これといってすることもなく」

私は折り返しの電車に乗って家に戻ったのだった。

 

何か土産を入手したとかいう物質的な獲得はなく

すごい出会いがあった、とかいうドラマもなかった。

 

だけど、車窓から見た風景、初めて乗った路線、ひとりで敢行したワクワクで、私は満足した。

 

そしてしばらくして

「今度は違うどっかに行ってみたい」

とまたいつもの思い癖に戻ったのだった。

 

その満足も、新たな求めも

結局は「元の生活に戻ってこれたから」感じたことだ。

 

あの民家と田んぼしかない終点で

帰りの電車はありませんとなったら

こんな満足は得られなかっただろう。

 

仕事においても、始めた当初にやってた業務とは今は種類の違う作業をやっている。

しかしたまに人数調整などで、元の業務に戻る時がある。

 

その時、自分が元々使っていた機械の前に立つと

「ここがホームなんだな」とその機械を可愛く思う。

 

家にしても仕事にしても馴染みのあるものは

その字の如く、「馴れて」「染み込んでる」から

居心地の良さも安心感も、当たり前すぎて

ホッとする実感が薄まってるだけなのだと思う。

 

たまに離れてみるとよくわかるはずだから

ありがたみを実感するために

これからもちょいちょい脱線することは良き……

 

あ、あれ??なんか

羽目はずしの言い訳になってる……?!

いやいや気のせい気のせい(笑)

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「円盤の6」

そうかあ……私は大事な人たちと深いつながりを持つ場をホッとできる場所にしたい気持ちが強いのか、とこのカードを見て思った。

 

そしてこのカードに描かれてある記号がどうも気になって……右斜め上の記号がわからない、なんだろう……と考えていた。

散々考え込んだ挙句、あ、木星が斜めになってるだけ?っていう結論に至る。

惑星がバランス良く六角形に配置されてるんだから、そりゃあその中心は安心だよなあ、と納得。

この中心で暮らせたらどうだろう?しあわせそうではあるけど、ますますダラになる危険もあるのかな(汗)んでまた、飛び出して脱線しに行きたくなるのか(笑)